名もない為替ブログ

為替と映画と音楽と ~ My Favorite Things ほとんど独り言です。f(^_^)

4月7日

--------------------

生はいとしき蜃気楼

--------------------


一昨日、観た映画


「 世の中にたえて桜のなかりせば 」


宝田明 氏の遺作となった映画ですが、クレ

ジットタイトルを見ると、

製作総指揮  宝田明

となっているので、宝田明氏が映画人生の集

大成というか、ご自身の人生の締めとして

作りになった作品ということでしょう。


残念なことに、ご自身では公開を目にするこ

となく他界されましたが、いいお仕事をして

映画人生を全うされたんだなと思います。


ウィキペディアで宝田氏を知ると、満州での

体験が氏の人生に大きく影響していて、この

映画にも反映されています。


終活を通して人生を考える筋立てになって

います。


終活というと、死を連想させるものですが、

必ずしも死ということではなく、どう人生を

全うしたいのか?と考えることも出来ると

私は思います。


一般的には終活というものは、「後顧の憂

いなく」あるいは「あとあとの心配なく」

という意味で身辺整理を意味すると思いま

すが、「後顧の憂いなく」の類語は”心置き

なく” とも書かれています。


ですから、終活というものも ”心置きなく”

自分の人生を生きる、であってもいいと思

います。


どう自分の人生を全うしたいのか?

どう自分の人生を ”心置きなく” 生きるのか?


人間、生まれた環境も、今ある環境も、持ち

合わせている能力や志も違います。


自分の人生をどう全うしたいのかは、人それ

ぞれです。


宝田明 氏は87歳でお亡くなりになりました

が、生涯現役で ”心置きなく” 映画人生を全

うしご自身の 終活 をしたんだと思います。


映画の中である詩が何度か出てきます。

私は文学とか詩歌には無縁ですが、そんな

私でもその詩を聞いて琴線に触れるところが

ありました。


宝田氏が満州から幸運にも生きて日本に帰る

ことが出来た人生をこの詩に託したのかも

しれません。


「 さくら 」   茨木のり子

--------------------

さくら


ことしも生きて

さくらを見ています

ひとは生涯に

何回ぐらいさくらをみるのかしら

ものごころつくのが十歳ぐらいなら

どんなに多くても七十回ぐらい

三十回 四十回のひともざら

なんという少なさだろう

もっともっと多く見るような気がするのは

祖先の視覚も

まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう

あでやかとも妖しとも不気味とも

捉えかねる花のいろ

さくらふぶきの下を ふららと歩けば

一瞬

名僧のごとくにわかるのです

死こそ常態

生はいとしき蜃気楼と


--------------------


それでは

今日の一日が良い一日でありますように。

×

非ログインユーザーとして返信する